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すべてはFREEに向かう(上昇編)

2010年03月24日

 この一連のシリーズは二つのブログ(「岡田斗司夫のゼネラルプロダクツ」「レコーディングダイエット2.0のススメ」)の交互で進行しています。
 最初から読む場合は、この日記からスタートしてください。




 マイケル・ジャクソン
 
 彼は僕と同い年、1958年に産まれたポップ・シンガーだ。
 マイケルは自身の集大成となるワールド・ツアー『THIS IS IT』の公演2週前にロサンゼルスで死んだ。
 死後、そのツアーリハーサルの映像が編集され、日本でも劇場公開された。
 その映画、マイケルの『THIS IS IT』を僕はこの正月に吉祥寺の映画館で見た。
 1月2日の深夜2時だった。
 
 お正月の深夜2時にもかかわらず、映画館はほぼ満席だった。
 冒頭、世界中から集められたダンサーへのインタビューから映画ははじまった。
 
「マイケルの前で踊れるなんて夢みたい」
「おい、信じられるかい?俺は10歳の時から、ずっとこの日を待っていたんだぜ!」
 彼らダンサーは『THIS IS IT』ツアーのオーディションのため、文字通り「世界中から集められた天才たち」だ。
 そう、ダンスなら誰よりも上手く、おそらく各出身国のベスト中のベスト、まさしくNo.1と呼ばれるスーパータレントたち。そういう「天才」は自我が強くプライドも高い。自分こそ世界一、と思ってる人種なのだ。
 そんな彼らが、マイケルの前で踊れる、オーディションを受ける直前のインタビューで感動を隠せずにいる。みんな紅潮する頬を涙でぬらし、感動のあまり言葉にできない者もいる。
 
 そこらのファンじゃないんだよ?
 「世界一」の天才たちが、たかがオーディションで、50才を越える大御所の前で踊るだけのはずなのに。若くて才能にあふれた彼らの方が、年齢的には初老のマイケルよりもずっとダンスが上手いはずだ。
 しかし彼らは、発表の順番を待つあいだ緊張し、興奮し、そしてこの日を迎えた自分を祝福する。
 
 そう、彼らにとってマイケル・ジャクソンは、単なる「業界の大物」じゃない。
 彼らにチャンスを与えたり奪ったりできる、セレブでエクゼクティブな「音楽業界のトップ」なんかじゃないんだ。
 彼らと同じ一介のダンサーでありパフォーマー、ミュージシャンとして「圧倒的な差で追いつけない存在」として彼らが眩しく見上げる存在。
 それがマイケル・ジャクソンだ。
 この冒頭インタビューはかなり長く、映画の半ばにも何度も挿入される。
 
 ちょっとふしぎに思った。
 正直な気持ちで言えば、「マイケル・ジャクソン?ああ、むかし流行ったよね。もう古いんじゃないの?」というのが映画を見る前の感想だったから。
 だから画面でダンサーたちの興奮や感動は「わかるんだけど理解できない」というレベルだった。
 しかしその後、リハーサル風景が画面にでると僕たち観客は「なぜ彼ら天才ダンサーたちが、かくもマイケルを尊敬し畏れるのか?」を思い知らされることになる。
 
 違う。
 圧倒的に「なにか」が違う。
 
 マイケルが軽く手を広げると、手のひらに観客の視線が集中する。
 右足を後ろに一歩引くと、僕たちはマイケルを見逃すまいとかすかに目を見張る。
 注目を、観客の視線を、その向こうにある観客の感情をマイケルはわずかな動きで自由自在に操る。
 マイケルは小柄だけど手のひらが大きい。そんなことにも気づかされた。
 あの手のひらを広げたり握りしめたりするだけで、どれだけ多彩な表情が生まれるというのか。
 
 若いダンサーが華麗に宙を舞う。激しいダンスを見せても、観客の注意は舞台の右手でゆっくり踊るマイケルに「ちょうどいい配分で」注がれる。
 「俺を見ろ!」ではなく「観客はいま、どこに注意を向けるべきか」を舞台上のたった一人のパフォーマーがコントロールしている。
 
 マイケルがボーカルの女性に助言する。
 彼女もまた「世界最高のパフォーマー」だ。
 しかしマイケルは「ううん、君はこうすべきだ。君にはできる」とアドバイスし、隣でいっしょに歌う。
 マイケルとユニゾンしながら、彼女が自身の限界を超えていく瞬間。その驚きの表情。マイケルの「ね?できただろう?」というイタズラっぽい笑顔。そして開放された彼女の歌声。
 奇跡の瞬間をカメラは捉えた。
 ダンサーも、ミュージシャンも、照明やカメラマンたちも、マイケルの近くにいると魔法のように「いままで以上の自分」を発見する。
 触れるものすべてを黄金に変えるマイダス王。
 それがマイケル・ジャクソンだった。
 
 天才なんてもんじゃない。
 ダンスが上手いというレベルではない。
 言葉にはできないそれ以上、マイケルは「この世界に現出した奇跡そのもの」なんだ。
 
 いったいなにが違うというのか?
 マイケルと「その他の天才たち」との差は、なんなんだろう?
 映画が進むにつれて、徐々にわかってきた。
 そうか、マイケルには「伝えるべきこと」「言いたいこと」があるんだ。
 他のダンサーは「上手く踊りたい」とか「自分を表現したい」で手一杯。もっと上手くなるとようやっと「自分の内部の情動を表現したい」になるんだけど、そこ止まり。
 しかし、マイケルには「表現したい内容」がある。
 具体的には、映画中盤で見せられるいくつかのミュージック・クリップ。環境破壊や熱帯雨林伐採に歌で抵抗するマイケルの思いが、映像や歌詞やインタビューで語られる。
 僕はそこで納得して、ひと安心した。
 なるほどね、「なにかやる男」というのはやっぱり違うもんだね。
 
 映画はツアー用の特別映像やステージの練習風景にうつり、僕はリラックスして映画を楽しんだ。もうその頃になると、映画館の観客たちはすっかりマイケルの信者だ。
 それまで世間で伝えられてきたマイケルの奇行やスキャンダラスな事件など、そういう風聞を信じた自分が恥ずかしい。だってマイケルって、本当にすごいんだもの!
 お正月の深夜の映画館は、僕を含めてそういう「にわかマイケル信者」でいっぱいだった。
 
 しかし、映画のクライマックス近く、いよいよツアー開始が近くなったのでスタッフ全員が手を繋ぐ場面。
 数十人のスタッフが輪を作り、隣の人と手を繋ぐ。
 マイケルは「みんな僕の家族だ」と言う。泣いていたあのダンサーも、あのボーカル歌手もいる。来月からのツアー開始を前に、それぞれの意気込みや仲間への感謝の言葉を口に出す。
 感動的な、マイケルのスタッフたちが心が繋がっていることがわかる、いいシーンだ。
 マイケルの隣にいるのはギリシャ人のプロデューサー、マイケルが誰よりも信じてパートナーに選んだケニー・オルテガがいた。
 オルテガはマイケルの親友であり、兄であり、一番の理解者だ。彼がみんなに感謝の言葉を言う。
「ありがとう。きっと僕たちのツアーは大成功する。すばらしいツアーになる」
 人の輪を作っているスタッフたちは、うなずく。涙を流して強くうなずく。
「じゃあマイケル、みんなに言葉を」
 オルテガにうながされて、マイケルが発言した。
 
「いま地球は危ない。本当に自然が破壊されてしまう直前まで来ている」

 え?と僕は思った。
 いま、その話?
 マイケルってKYの人?
 
「僕たちのツアーはできる。地球を救うんだ。地球の環境破壊をやめさせて、自然を回復しよう。世界中にこの運動を広げよう。4年あればできる」
 画面に映ったスタッフたちも、なにか居心地が悪そうだ。ダンサーや音響さん、オルテガなどのスピーチでは強くうなずいていたみんなは、とりあえず下を向いてマイケルの話が終わるのを待っている。
 
 そりゃそうだろう。
 だってマイケルは「みんなのツアー」の話をしていない。「自分の目標」の話をしてるだけだ。
 でも「みんなの夢」はそうじゃない。素晴らしいツアーを成功させること。マイケルと並んで踊ること。その向こうにはさらなる自身のキャリアや未来。
 なによりもマイケルの話には無理がある。環境破壊を止める?
 だって歌だよ?コンサートツアーだよ?
 「環境破壊をやめるように訴える」ことはできるだろう。
 そういう運動のテーマソングにすることだって可能かも知れない。
 
 でも、たかがミュージシャンの歌で、環境破壊を止めたり、自然回復を4年以内になしとげる、そこまでの力はない。
 それが現実だ。
「僕の歌が環境破壊を止める力になれたら」
 これならわかる。理解の、理性の範囲内だ、
 でも「僕の歌で地球を救う。4年以内に。僕たちにはできる」、そんなことを本気で言い出したとしたら、その人は狂っている。
 たしかにマイケルのミュージック・クリップには、彼の歌のパワーで熱帯雨林が復活するSFXシーンがあるけど、あれは合成だ。特撮なんだ。
 それが理性だ。それが現実なんだ。
 
 だから、マイケルのスピーチが終わると映画は次のシーンに切り替わった。リハーサルが続き、マイケルの日常も映された。
 素晴らしいツアーにしよう!
 スタッフの思いが一つになっていく。
 
 しかし映画はラストになって、マイケルの死が報じられる。
 映画の中でファンたちは泣き叫び、吉祥寺の映画館でも客席から嗚咽が聞こえる。
 なんて可哀相なマイケル。
 すばらしいツアーになるはずだったのに。
 あんなに素敵な、マイケルを尊敬して愛しているスタッフに恵まれていたのに。
 あんなに天才で、才能もお金も愛情も、誰よりも持っていたのに。
 
 映画館の観客たちは感動し、泣いていた。
 栄光に包まれた、しかし不幸な天才アーティストの死を悼み泣いていた。
 
 しかし、僕は泣けなかった。
 僕は怖かった。
 マイケルの人生は失敗だったと知っていたから。
 彼はなにひとつ得られず、この世を去ったことがわかったから。
 
 みんな信じちゃいない。
 マイケルの目標を。「この地球を救う」を。
 あれほどマイケルに心酔していたダンサーやシンガーたちも、誰一人本気で信じていない。無二の親友オルテガをはじめ、スタッフたちは誰一人「世界を救える」なんて信じちゃいなかった。
 映画館でマイケルを見て泣いている観客も「マイケルっぽい理想論だね」とスルーした。
「マイケルは純粋だから、そんな夢を持っているんだ。僕たちはそんなマイケルが大好きなんだ」
 そう考えていたんだと思う。
 でも、マイケルはそんな絵空事みたいな夢じゃなく、本気で、本当に、この4年で世界を環境破壊から救うつもりだった。「夢」じゃなくて具体的な「目標」だったんだ。
 
 あれほど彼を尊敬し、愛してくれたマイケルの「家族」や「仲間」たち。
 マイケルの死を悼んだ世界中のファンたち。
 その中で、いったい何人が「マイケル、口惜しいよな。もう少しで世界を破滅から救えたのに。環境破壊を止められたのに」と彼のかわりに嘆いてくれただろう?

 そうか、だからマイケルは子供が好きだったんだ。
 子供なら、マイケルの目標を信じてくれる。
 マイケルが「世界を救おう」と言った時に心から信じてくれるのは子供だ。
 だからマイケルは、子供たちが好きだったんじゃないだろうか。
 なんて可哀相なマイケル・ジャクソン。
 
 彼は誰にも理解されず、なにひとつ人生の目的を果たせず、世界の破壊を止められないまま世を去った。
 彼にとって、彼の人生は敗北だった。
 栄光と愛と美に包まれていた、と人は言うかも知れない。
 でもマイケルはきっぱり、ノーと言うだろう。
「世界を救うことだけが僕の望みだった」と。
 
 僕?
 僕も信じちゃいない。
 マイケル・ジャクソンが歌で世界を救えるなんて。
 
 でも、僕にはマイケルの口惜しみがわかるよ。
 僕もマイケルと同じ、狂った男だから。
 僕はマイケルと違う。
 天才じゃないし、才能もない。
 トークの才能や文章力は、ある程度ある。
 でもマイケルのように世界中の人を感動させるような表現力はない。
 
 だから僕の「狂った目標」はマイケルよりはずっとささやかだ。
 それでもマイケルと同じく、その目標が達成されない限り、僕の人生は無意味だ。
 僕の目標は・・・
 
 う~ん、恥ずかしいなぁ。
 笑われるだろうし、信じてもらえないだろうし、絶対にバカにされるだけだ。
 明日。明日まで待って。この続きは明日にしよう。

 今日はここまで。
 じゃ、明日は「レコーディング・ダイエット2.0のススメ」でね。

  


Posted by 岡田斗司夫 at 17:15