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アスキーこぼれ話

2010年02月16日

 毎週火曜は週刊アスキーの発売日。
 なので火曜のブログは僕が連載中の「ま、金ならあるし」に書けなかったことの補足情報だ。

 今週連載分は「母親vs税務署」の第2回。
 この原稿を書いてると、どんどん気持ちが子供の頃に戻ってくる。

 刺繍工房をやっていた時代、僕の家はいつもビニールや機械油の匂いでいっぱいだったなぁ、とか。
 工房と言っても、長屋の一軒家を改造しただけ。二階建ての一階に無理やりジャガード20連自動ミシンという西ドイツ製の機械を3台も無理やり詰め込んでいた。
 名前の通り、20台のミシンがシンクロして動き出す機械で、その騒音たるやすさまじい。
 制御はパンチカード、それも幅3インチ、長さは100フィートぐらいの硬版テープにぎっしりパンチ孔が穿たれている超精密プログラムテープだった。考えてみれば、あれはもうアナログ式の電算機といってもいいんだよなぁ。

 連載ではあまり触れなかったけど、僕の母親は実は小学校も卒業していない。
 4年生に上がる前に「奉公」に出されたのだ。
 昭和ヒトケタ生まれということを差し引いても、当時の子供たちはみんな小学校ぐらいには行かせてもらえていたはずだ。母の兄弟、兄や弟はちゃんと学校には行かせてもらえていた。
 なのに兄弟の真ん中の娘だけ、小学校に行かせずに住み込みでお手伝い、というよりはっきり言えば「女中」「下女」として知らない家に奉公に行かされた。

 いま考えると、とんでもない男女差別だよね。
 男の子には学校に行かせて、女の子は教育なんかいらない、と10才になる前に見知らぬ他人の家で働かせるなんて。
 母はその奉公先ですごく苦労した。
 負けず嫌いの母が、泣かない日はなかった、というぐらい。
 
 だからこそ、連載で書いている「自分の事業」をはじめたときの母は、本当に生き生きとしてたんだよ。
 そんな母がついに出会った生涯の天敵(笑)、税務署とのやりとりを今回の連載では書いていこうと思う。
 ああ、早くクライマックスが書きたいなぁ。
 途中からDAICON時代の話になって、オープニングアニメ制作中に両親と庵野君のやりとりとかも入ってくるので、そのあたりも書きたい!

 今日はここまで。
 じゃ、明日は「レコーディング・ダイエット2.0のススメ」でね。

  


Posted by 岡田斗司夫 at 10:14