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さらに「ひとり夜話」について

2009年07月27日

 GYAOジョッキーの閉鎖に関して、ようやっと公式アナウンスがでた。
 
【GyaOジョッキー生放送終了のお知らせ】
GyaOジョッキーは、2009年8月28日(金)を持ちまして、生放送を終了いたします。生放送やアーカイブで視聴してくださったみなさん、チャットやイベントを通じて番組に参加してくださったみなさん、約3年間の数々のご声援のほど、本当にありがとうございました。


 
 というわけで、7月19日の日記を復活させてもいいんだけど、削除しちゃったからデータも手元にないや(笑)
 とりあえず、「ひとり夜話」の今後について、日記コメントありがとうございます。
 
 まず、今のところはニコ動とかYoutubeなどの動画配信などは考えていません。
 理由は簡単。「ひとり夜話」に必要なクオリティが保てないから。
 
 もちろん、上記のサービスを利用して、ひとり語り番組を提供してる人もいるのは知ってる。でも、僕にとって必要なクオリティは出せない。
 「ひとり夜話」はミニマムとはいえど、ちゃんとした舞台の上でやっている。カメラ3台にカメラマンふたり、スイッチャーひとり、チャット専門の構成作家ひとり。照明設備の整ったスタジオで、マイク2台という装置もある。
 ここまで準備した上で、「一時間ひとりでしゃべる」という番組が可能なわけ。
 
 見ている人にとっては「ひとりでしゃべるだけだから、どこでもできるだろ?」と思うかも知れないけど、実はライブハウス並みの仕込みと装置が必要なんだ。
 「観客からはギター一本の引き語りに見えても、実はちゃんとPA使ってる」みたいなもんだね。
 
 コンテンツの内容や特性によって、「見せ方」はかなり重要なんだよ。
 たとえば歌手の路上ライブは珍しくない。「演じる→聞く」という関係性というか舞台フィールドをわりと作りやすいから。
 ところが、漫才やコントの路上ライブは、歌手に比べて極端に少ない。「お笑い」の舞台フィールドは歌よりもずっとデリケートだからね。
 
 これが落語となると、さらに少ない。
 ひとりしゃべりで路上でやれるものといったら、演説とかになるよね。あれは「雑音という街の生音」を効果音として舞台フィールドに持ち込めるから成立するんだと思う。
 要するに「ヤジも参加のうち」ということだね。
 
 「ひとり夜話」をニコ動やYoutubeでやるのは不可能だ、と言ってるんじゃないんだよ。
 そっちで似たような企画やってる人もいるけど、「ひとり夜話」は違うな。もしやるとしたら、ぜんぜん別の企画だろうと思う。
 動画配信での復活を望んでいた人には申し訳ないけど、以上の理由で僕はやらないと思います。
 
 というわけで、今日の話はここまで。
 また明日ね。
 
  


Posted by 岡田斗司夫 at 15:10

どうする?「ひとり夜話」

2009年07月22日

 「ひとり夜話」をどうするかについて、以前悩み中。
 とりあえず最初に思いつくのが、東京と大阪で毎月一回イベントをする、という方法。
 見に来てもらえる人は限られるけど、一気に2~3時間のトークができるから内容的には一番納得いくものができそう。
 
 最終回までに準備して告知、というのも難しいだろうから、とりあえずこのブログの告知して発表という流れになるんだろうな。あ、でも「ひとり夜話」という題名のブログを新設する・・・いやいや、仕事を増やすのはやめよう(笑)  


Posted by 岡田斗司夫 at 02:49

西の空

2009年07月19日



写真は横長だから、スクロールして見てください。
虹の反対、西の空。夕焼けが始まってるね。
電線が美しい。
事務所のベランダから撮影。
  


Posted by 岡田斗司夫 at 19:00

虹が出てる

2009年07月19日

吉祥寺の東の空に、虹がでた。  


Posted by 岡田斗司夫 at 18:47

関係社の要請により、日記部分を削除しました

2009年07月19日

 担当者からお願いされたので、おとついの日記部分を削除します。
 コメント部分は残します。  


Posted by 岡田斗司夫 at 01:51

指をザックリ

2009年07月17日

 いま、僕の左手中指には絆創膏が張ってある。
 晩ご飯にキュウリとトマトのサラダを作っていた時、つい調子に乗ってテレビを横目で見ながらトマトを刻んじゃった。そしたらザクッ!と中指の先に包丁が食い込んだ。
 大丈夫かな?としばらく見ていたら、やっぱり血が滲んできた。
 あ~、やっちゃったな。
 
 タイミングも悪かった。先週、大阪に出張したときにANAの機内誌で「包丁の研ぎ方」を丁寧に解説してるのを読んで、ちょうどおとつい研いだところだったんだ。いやもう、切れる切れる。指先もザックリだよ(笑)
 切れ味の良い包丁は、トマトもサクサク切れる。だから力が入ってなかったのが不幸中の幸いだったなぁ。
 ちなみに夕食はキャベツ鍋。トンコツ醤油スープで炊いたキャベツを一人で1/2玉食べちゃった。鶏肉、シメジ、ニラも入れたけど、なんか物足りなくてトマトとキュウリのサラダも追加したんだよね。
 ご飯の替わりに、お昼の残りのパンで鍋を食う、というちょっと変則的な献立だったけど、美味かったよ。
 
 でも指先が怪我すると、キーボードが打ちにくくて困るよね。いまも庇いながら叩いてます。
 
 今日から火曜までは日本中を移動するので、ブログ更新は無理かも。
 ま、期待しないで待っててください。
  


Posted by 岡田斗司夫 at 00:52

ううう、寝ます

2009年07月16日

 やっと今日の分の仕事終わり。
 明日は朝から週刊アスキー連載の単行本化打ち合わせがあるので、もう寝なきゃ・・・
 週末は北海道、週明けは関西と出張続きだから、本当は原稿の書きためもしなくちゃいけないんだけどね。

 予約していた「ウォレスとグルミット」のDVDーBOXが来たので、いままで未見のメイキング映像だけ見たよ。
 あまりに可愛かったので、展示やってるジブリ美術館が徒歩15分ぐらいなので見に行ってきた。
 しかし素敵な「ウォレスとグルミット」関係の展示はほんのちょっぴり。どうでもいい「崖の上のポニョ」を大きなスペースとってやってるし、おまけに特別シアター作品の「くじらとり」はとんでもなくつまんないし。
 帰りに「風のすみか」という天然酵母のパン屋で買った「くるみパン」がものすごく美味しかったのだけが収穫でした。
 
 明日は、とにかく原稿の書きためすることにして、とりあえず今日はここまで。
 また明日ね。  


Posted by 岡田斗司夫 at 03:13

日記、書いたけど消しました

2009年07月09日

 新劇場版エヴァを見た感想書いたんだけど、ちょっと思うところあって消去しました。コメントを書いてくれたみなさん、すいません。
 やっぱりね、コメント同士で叩きあうのは見てて気持ちよくないからね。人のコメントを叩くためだけに書き込まれたら、困っちゃうんですよね。
 持論を展開するのは自由だけど、それは自分のブログでやってほしいと思います。

 追記:
 当分、コメントは承認制にします。承認には半日~一日程度かかる場合もあります。

   


Posted by 岡田斗司夫 at 22:55

今日は無理

2009年07月08日

 アスキーの連載書いて、遅れてるメール返信書いてたら、どうにも時間が取れない。
 とりあえず、今日のブログ更新はあきらめた。
 すまん!また明日!
  


Posted by 岡田斗司夫 at 19:27

ひとり反省夜話(笑)

2009年07月06日

 ひとり夜話、終わってようやっと六本木から帰りました。
 いや~、今日はひたすら「コカコーラCM」の話だったね。もう時間配分がメチャクチャ。(笑)

 フレドリクソンの話は、先月の「海のオーケストラ号」の模型と同時にできればよかったんだけど、ちょっとわかりにくかったかなぁ。
 とりあえず今回の挑戦は「熱く語れるものばっかり語る!」でした。
 でも、コーラのCM集って、ああやって”見方”ポイント・オブ・ビューを押さえないと、単に資料として見ちゃうんだよね。それはもったいない。
 CMマンたちの戦いの記録、として見なきゃね。

 あ~、とりあえず終わったので、今日はここまで。
 また明日ね。

   


Posted by 岡田斗司夫 at 23:51

今夜はGyaOジョッキー

2009年07月06日

 今日の夜は一ヶ月ぶりのGyaOジョッキー。いちおう「お品書き」という話すことのリストは事前に用意している。
 前回はテロップ用にリストをスタッフに貸し出したら、番組がはじまっても返してくれない。どうやら放送中にテロップを入力してるらしい。おかげで番組冒頭はメモなしではじめることになってしまい、すっかりパニックになって話の流れが悪かった。
 まさかネタ帳を本番がはじまっても返してくれないとは思わなかった。そこに僕の油断があったよね。
 貧乏なスタジオなのでコピー機すらない。だから僕のネタ帳をコピーできず、その場で入力するしかない、というわけ。
 こういう事故が起きたときに、誰かのせいにしても意味はない。一番被害を受けた人間、つまり「その場で一番イヤな思いをした本人」こそが解決当事者であるべきだ。少なくとも僕はすごくイヤだったから、今回からはリストを事前に自分でコピーして、原本は渡さないようにしようと思う。
 
 前月のお品書き、積み残しの消化はあんまり考えていない。その時に一番話したい話をする、というのが「ひとり夜話」のコンセプトだから、一ヶ月も前の話は熱が冷めてる場合が多いんだよね。
 とりあえずいくつか本とかDVDの紹介はするつもり。
 では今夜、GyaOジョッキーでお会いしましょう。
 http://www.gyao.jp/jockey/?c=cnt0087232
 見たい人はここで、あらかじめ会員登録してね。チャットへの参加もお待ちしています。
 
 「ひとり夜話」の生本番が終わって帰ったら、「今日の反省」とか書いてみるつもり。
 だから、今日はここまで、じゃない。
 またあとでね。
   


Posted by 岡田斗司夫 at 15:08

もの書きの悩み

2009年07月02日

 毎日、原稿を書いてて思うんだけどね。
 もっと面白いこと書きたいなぁ、ってすごく思う。
 いや、「面白いこと書きたい」は正確じゃないか。
 
 え~とね、「頭の中で考えていることをテキスト化する技術」は、かなりあると思うんだ。
 コツは「割り切ること」。
 考えてることを正確になんか表現できない。そもそも、僕たちは日本語で「思ってる」わけじゃない。なんかわかんない「思い・想い」がグチャグチャして、それが心の表層で取り扱われるときに、とりあえず日本語に変換して「考える」わけだ。
 だから、誰しも「考えていること=思っていること」じゃないんだよね。
 そこで「割り切る」が必要になってくる。自分が本当に言いたいこと、本当に思ってることを言語化するのはそもそも不可能。
 だから近似値として「とりあえず説明用のサンプル」として、なんでもいいから言葉にしてみる。
 口に出したり画面に書いてみたりして、その時の違和感とかフィット感で、「どの程度、言いたいことに忠実か」を計るしかないんだよね。
 
 このあたりの割り切りは、もう訓練だよ。人に誤解されようと恥を掻こうと、とりあえず発言したり書いたりして、人目にさらす。割り切ることにも慣れるし、「言いたいこと」の精度も徐々にあがってくる。
 
 と、僕はこういう「考えてることをテキスト化する技術」は、そこそこあると自負してるんだ。
 
 でもね~、いま悩んじゃってる「もっと面白いことを書きたい」というのは、それより少しばかり階層が深いんだよね。
 「面白いことを思いつきたい」に近い。
 いや、これが難しくて。

 「自分の中心軸をエキセントリックな方向に振る」というのが、いちばん安易な方法だ。
 もちろんこれ、考えたよ。
 あえて無頼な発言するとか、もっと露悪的になったり、逆に正義感ぶったり、社会の外れものの立場から発言したり。
 そういうやり方は知ってるんだけど、なんかイヤなんだよね(笑)
 あ、このあたりはワガママなんだけど。
 
 いま、準備してるのは「筑摩書店から分厚い本」「文藝春秋から小さい本二冊」の計三冊。それ以外にアスキーから「連載のまとめ」がでないかな~と期待してる。
 で、「その次の本」を空いた時間にゴチャゴチャ考えたりしてるんだけど、そっちはかなり感情的な本にしたいんだ。
 今までの「考えてることを書く」じゃなくて、「感じたことを書く」に近づける感じ?
 まだそのあたりはよくわからないけど、とりあえず、もっと面白く書けるようになりたいなぁ。
 
 あ、愚痴っぽい文章になっちゃった。すまん。
 今日はここまで。
 また明日ね。
  


Posted by 岡田斗司夫 at 23:06

7月1日は僕の誕生日です

2009年07月01日

 さて、今日は誕生日。
 今日から51才だ。
 
 と言っても、別に普段から変わらない。昨日の夜も仕事してて日付変わったのに気づかなかったし、今朝もいつもと同じ時間に起きて仕事している。
 昨夜、夜食に柿の種を食べたので、ちょっと胸焼けしてるぐらいかな?変化と言えば。
 
 10年ぐらい前から、誕生日は淡々と過ごすようになった。当たり前だけど「年に一度のイベント」も、30回も40回もこなすと「特別感」は薄れてくる。
 僕にとっては、桜の開花の方が何倍も盛り上がるなぁ。
 
 と言って、なにも考えないでもない。
 毎年、誕生日のたびに思うのが「一年経つたびに、人生は行き易くなる」だ。
 
 僕にとって一番しんどかったのは小学生の頃。
 学校は嫌いだったし、給食はもっと嫌いだった。授業も運動会も遠足も休み時間も、全部イヤだった。
 自分の好きなようにできない。じっと座ってなきゃいけない。トイレも休み時間まで我慢する。先生の退屈な話より教科書の方が面白いけど、そんなの学期の最初に読み終わってしまってる。
 膨大な、退屈で不自由で、ひたすら我慢するだけの時間。
 それが僕にとっての「小学校生活」だった。
 
 中学校に入ると、ちょっとマシになった。
 相変わらず学校は嫌いだけど、毎日同じ制服を着て坊主頭という変化のなさは気に入った。
 給食じゃなくて弁当になったし、3年になると校内に食堂もできた。
 女子が気になりだして、友達は背伸びして酒やタバコをはじめる奴もいた。
 金はなかったけど、金を使う遊びなど知らなかったので平気だった。
 自転車でどこにでも行けた。

 高校は、さらにマシになった。
 高校自体は好きじゃない。でも放課後は好きだ。
 クラブ活動もはじめて、彼女もできて、SF雑誌に投稿しようと小説を書き始めた。
 テストの点がシャレにならないほど悪化したのは困ったけど(笑)
 
 大学は・・・覚えていない。
 大学生活を覚えられるほど長く行かなかったから。あっという間に大学に行かなくなり、あっという間に放校処分になった。
 しかし、かわりに「SF」が生活になった。
 SF小説を買うため、SF大会の赤字を埋めるためにバイトした。
 SF映画を見るために大阪中の公民館や会議室での自主上映会に足を運んだ。
 付き合っていた彼女には、SFを読ませ、SFを見せて、SFっぽい風景を見るためにビルとか工場ばっかりデートした。
 ようやくこの頃、「金がない」が問題になってきた。
 
 庵野秀明らと出会ってアニメを作り、海洋堂と出会って模型に狂い、SF大会が終わって結婚し、大阪の片隅でSF専門店ゼネラル・プロダクツを始めた。
 もう僕は25才になっていた。
 もう25才?まだ25才?
 
 必死の決意で東京へ移住してガイナックスを設立し、『王立宇宙軍~オネアミスの翼』を作り、ハリウッドでプレミアを開いて赤絨毯を踏んだその日、僕はまだ30才になっていなかった。
 
 30才から40才までは、絵に描いたような「波瀾万丈」の日々だ。
 アニメを作り、コンピューターゲームを作り、マンガ雑誌を作った。
 借金にまみれ、使い切れない大金を稼ぎ、人を雇い、またクビにもした。
 海外で会社を作り、某国大統領からヘッドハントされかけ、会社が放火されかけ、娘が生まれて育児に追われ、旧友と再会し、そして全てを捨てて、仕事もなにもせず一年半すごした。
 東京大学で非常勤講師をつとめ、最初の本を出し、お笑い芸人としてタレント名鑑に登録され、最初のベストセラーも書いた。
 自分が主役のドキュメンタリーも2本放映されたけど、それ以後本はさっぱり売れなかった。
 
 40才から50才までは、「自分」が徹底的に変わった。
 「社長」とか「プロデューサー」として仕事する機会が減って、どんどん作家性の強い仕事ばかりするようになった。
 家族と暮らすのを辞めて、一人で暮らすようになった。
 人と会わなくなり、飲み会の誘いも断り、一人で過ごす時間が圧倒的に増えた。2~3日、誰ともしゃべらない生活が当たり前になった。
 40才で体重が人生最大の125キロを超え、50才で62キロに半減させた。
 絵本を書いて、食玩を監督して、年に6回海外に行って、英語で講演して、海外の大学で講義もした。
 49才で最大のベストセラーを出して、50才の頃は「テレビに出るのが日常」というタレント的生活になり、知らない人にサインを求められるのが当たり前になり、一日の睡眠時間が3~4時間になった。
 ブログをはじめ、2ちゃんねるを毎日見るようになり、mixiにハマり、mixiをやめた。
 ネットからリアルに時間をシフトさせ、手芸や模型作りに時間を割くようになった。
 髪を茶色に染めて、毎朝なにを着ようかと悩み、その服のサイズは5LからMになり、ついに男性用Sサイズになった。
 
 で、今日から51才。
 上記の通り、僕の人生は毎年どんどん面白くなっている。変化の幅は相変わらずすごいし、なによりも毎年、生きていくのがラクチンになっている。
 心臓弁膜症という先天的な機能不全に生まれて、「生きてるのが奇跡」と言われた幼少期から、小学校までの時代に比べれば、そこから先の人生は丸儲けみたいなもんだ。
 
 だから、大学で学生たちと話すと、不思議でしょうがない。
 高校を出たことがまるで残念みたいに話している。
 大学を卒業して働くのが、すごく辛そうだ。
 「遊ぶ」ことが楽しくて、「大人になる」ことがつまらないみたいに話している。
 
 そうかなぁ?
 少なくとも僕は、子供の頃より今の方が楽しい。
 教室に座ってなくてもいいし、好きなものを好きな時間に食べていい。
 リスクさえ覚悟したら、どんな仕事や生活をしようが自由だ。
 年を取ると言うこと、大人になると言うことは、イコール自由度が増えることだと思う。
 
 仕事や社会的な成功とは関係ない。
 「自分で生き方を決められないこと」「大人になにか強制される、または大人になにか許可してもらうしか、生き方を選べないこと」
 この2点だけで、僕にとって子供時代とは不自由の象徴だ。
 成功や失敗は結果でしかない。僕にとっては「本が売れない」みたいなものだ。
 自分が好きに決めて選んだ生き方なら、本が売れなくても貧乏でも、結果は本質的な問題じゃない。
 
 学校を出て大人になれば、自分の好きなように生きられる。
 でもそこはゴールじゃない。好きなように生きて、そこで勝負して勝ったり負けたり引き分けたりして、いろんなものを得たり失ったりすること。
 これが人生というゲームの本質だと思う。
 
 だから僕は、年を取るのが好きだ。
 というわけで、僕にとって、僕の誕生日はめでたい。
 ハッピーバスデー・トゥー・ミー
 
 じゃ、今日はここまで。
 また明日ね。
  


Posted by 岡田斗司夫 at 12:08