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「立ち位置」は明確に

2009年06月22日

 この間、朝日新聞から「国立メディア芸術総合センター構想について」という取材を受けた。
 いますぐ記事にして掲載、というのではなく、中期~長期の取材で長い目の読み物にしたい、という先方の取材理由が気に入った、というのもあるんだけどね。
 
 で、僕は自分の思うところを30分ばかり話した。
 話しながらシミジミ思ったんだけど、僕の意見というのは絶対に”自分の立ち位置”を明確にすることからはじまってるね。
 
 たとえば今回の問題については「国民の一人として」なんていう大づかみな立場からは発言しない。こういう個別かつ具体的な問題に「人間として」とか「日本国民として」とか言い出しても意味ないと思うからね。
 そんな”ミスター日本国民”の意見なんか僕には興味ない。
 
 僕の立場は、もちろんバイアスがかかっている。
 「マンガやアニメが好きなオタクとして」「この50年、マンガやアニメ業界の推移を見てきた者として」の意見だからだ。
 だから「税金の無駄遣いだ。やめろ」とは”発言”しない。
 もちろん「無駄遣いだなぁ」とは”思う”よ。でも国立能楽堂とかよりはずっと「オタクである僕にとって」は無駄じゃない。
 
 「全ての無駄遣いをやめろ」とヒステリックに叫んで、この計画を潰しても、税金の無駄遣い自体はなくならない。なにが無駄か無駄じゃないかをいちいち国民の論議にゆだねる、なんて方法も僕は勘弁だ。
 
 「私はマンガやアニメが好きなオタクである」というのは、趣味嗜好を超えた”生き方”に近い。少なくとも僕はそう思っている。政治的な立場にはなりうるかどうか知らないけど、ここを僕の立脚点にした。
 
 だから、国立メディア芸術総合センターに関しては異論もあるけど賛成だ。
 現在のように、マンガやアニメの一次資料や原本・原稿そのものが散逸してしまうより、保護してくれた方がマシだからね。
 もちろん、「箱モノだけ作ってほうりっぱなしでいいのか」と言われると「いいはずないだろうけど、だからといって企画全部潰すのが果たして僕たちオタクの公益となるか」と考えてしまう。
 
 日本の国益
 日本国民全体の公益
 オタクの公益
 
 この三つ、実はすこしずつ矛盾してるし、ずれている。
 
 たとえば、誰でも自宅の区に廃棄物処理場ができるのはイヤだろう。つまり「区民の公益」としては反対だ。でも「東京都民の公益」としては意味がある。
 こういう場合、公益同士がぶつかって議論が起きる。
 
 先進国と発展途上国が、Co2排出限度を議論する。すでに経済発展を遂げた先進国は「地球温暖化を防ぐ」という大きな公益を叫ぶ。途上国はCo2限度枠の拡大という「比較的小さな公益」を叫ぶ。
 
 でね、オタク業界のやっかいなところは、「正義が好き」という人の含有率が多いところなんだよね。「正義が好き」という人は、できるだけ”大きな公益”を立脚点に置く。
 だから、せっかく国が「国営のマンガ喫茶作りましょう」って狂ったこと(!)言ってるのに「大きな公益のため」に反論しちゃうんだよね。
 
 「大きな公益のため」しか考えない意見というのは、つまり「利己的でない意見」のことだ。
 そして、利己的でない意見、というのを僕は信じないようにしてるんだ。
 言い過ぎかな?「利己性を含まない意見」「利己性と公益との葛藤をはらまない意見」を信じない、と言い換えようか。
 それは「責任を持たない意見」と僕にとっては同義だから。
 
 たとえばね、食料が少ないときの分配法で考えてみるよ。
 ある家族のお父さんを仮定しよう。つまり「家族という集団のリーダー」だ。彼の目的は「自分の家族に腹いっぱい食べさせること」だろう。
 でも、他の人だって餓えている。良心的な彼は、なんとか食料を公平に分配したいと思うだろうけど、やっぱり「まず自分の家族を餓えさせたくない」と思っちゃう。
 自分一人が食べたい、という私益は犠牲に出来るかもしれないけど、「自分の家族」という「小さな公益」は無視できない。それが責任というものだ。
 家族という「小さな公益」と、みんなという「大きな公益」の間で彼は葛藤する。こういう立場の意見を、僕は「責任を持っている意見」だと思う。
 
 小さな会社の社長でも、小売店の店主でも、お母さんでもみんな同じだよね。みんな、「自分が喰わさなきゃいけない人」を抱えて、おまけに地域や国との公益とも調節してやっていかなくちゃいけない。
 だからお母さんは面倒でもゴミを分別して出すし、小売店の店主は利益を削って商店街の祭りに寄付するんだ。
 
 すっかり話が遠くなっちゃったけど、だから僕は「国立メディア芸術総合センター構想」に完全に反対はしない。
 「ない」よりは「ある」ほうがマシだから。
 もちろん、日本国民にとっては「ある」より「ない」がマシだろう。
 でも、オタクにとっては、少なくとも国立能楽堂よりは金の使い道として「オタクの公益」に適っている。
 「日本国民として」の僕と、「一人のオタクとして」の僕が、それぞれの公益やバランスを考えたら、う~ん、そろそろ国もオタク文化のためにこの程度の無駄遣いをしてもいいんじゃないか?と思う。
 それが僕の立脚点で、僕の結論だ。
 
 それより、どっちかというと僕が「国立メディア芸術総合センター構想」で問題に思うのは、そのネーミングだな。
 「国立マンガ喫茶」でいいのに。
 そしたら、本当に漫画やアニメという「保管すべき文化」に特定して機能するだろう。
 
 なんせ、こんだけ外貨を稼いでながらもトキワ荘すら保全できなかったのがマンガなどオタク文化だ。
 僕たちオタクは総じて「いまの作品」に注目するけど、「過去の遺産」には冷たい。だからこそ、国が保護してくれたら”楽”なんだけどね。オタクの公益にかなう。
 で、それは100年後の日本の国益になってると思うんだよね。
 
 でも「国立メディア芸術総合センター」というわけのわかんない名前だったら、また補助金目当てのニセ芸術家どもを優遇するだけになりそうだ。
 メディア芸術とか、環境アートとか、そういう格式だけはご立派な連中には、少なくとも僕の払う税金は使って欲しくないなぁ。
 「国立マンガ喫茶」なら大賛成なのに。
 
 あ~、長くなっちゃったけど、この話の主論は「発言の立ち位置は明確に」であって、国立メディア芸術総合センターうんぬんは系論なので誤解ないように。
 
 今日はここまで。
 また明日ね。
   


Posted by 岡田斗司夫 at 11:34